きっしーの勝手に書かせてちょーだいっ


古道歩き (23/10/04)

その9 (20/12/04)

その8 (18/02/06)

その7 (15/07/15)

その6 (12/12/30)

その5 (10/09/28)

その4 (07/04/28)

その3 (05/08/02)

スカボロー・フェア (02/12/01)

びょーき (00/12/29)


古道歩き (23/10/04)

コロナ禍で合唱も飲み会もなかった2021 年、社会的に許容されていた散歩を応用して「古道歩き」を始めました。

自宅のそばに「矢倉沢往還」という古道があり、詳しく調べてみると、古くは東海道の本道で、江戸時代になってからも東海道の裏街道として、また富士山や大山詣の信仰の道として重要な道であったことが分かり、無性に歩いてみたくなったことがきっかけです。

ルートは、基本的には先人のブログで調べましたが、他には「今昔マップ」という、100 年以上前と現在の地図を並べて見られるサイトを参考にしました。(誰でも簡単に見られます。)

いざ歩いてみると、古道沿いには石碑・石仏が多いことに気付きました。主なものを挙げると・・・

【道祖神】
高さ30 cmcm5 0cm くらい。2人の神様が彫られているもの(双体)が多いです。昔の主要な交差点に多くあります。「どんど焼き」など、子ども主体のお祭りは道祖神を中心に行われていたようで、今でも小正月の頃になると道祖神の前にお飾りを集めているところがあります。江戸時代に建てられたものが多いですが、平成になってから建てられたものもあります。

【唐申塔(こうしんとう)】
人間の体内にいるという三尸(さんし)の虫が、庚申(かのえさる、60 日に一度)の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして、庚申の日の夜は夜通し眠らないで情報交換(宴会)などをする「庚申講」という風習がありました。それを3年間(18 回)続けた記念に建てられることが多かったそうです。

これも主に江戸時代に建てられていますが、庚申講が昭和まで続いていた地域もあるようです。

天帝に悪事を知られたくないことから、写真のように「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が彫られているものもあります。

【堅牢地神(けんろうじしん)の碑】
堅牢地神とは、大地をつかさどる地神で、大地が万物を載せて堅固不動であるところから、堅牢の名があるとのことです。それが転じて、農村の守護神として信仰されていました。

このような石碑・石仏は、よく知らないうちは不気味に思っていましたが、由来を知るとその地域の繋がりや温かみが感じられ、見つけると嬉しくなってきました。特に道祖神は、道路拡幅や開発があると1ケ所に集められたりしますが、右の写真のように民家の塀を自分の敷地に窪ませて、昔からの場所のまま保存しているところも多く、地域に根付いていることが分かります。

残念ながら、港南区にはあまり現存していませんが、戸塚区などには数多く残っているようです。余裕のある時に、ふと道端に目を配ると、新たな発見があるかもしれません。


その9 (20/12/04)

最近五十肩を発症しました。今回は、通勤中のもろもろのことを徒然なるままに記します。

その1:指定席だけど自由席

松田町から横浜に出勤するにあたり、行きだけ小田原〜新横浜間で新幹線を使わせて頂いています。

以前は、こだま号の7号車は自由席でしたが、最近は指定席になっています。

ところが、混雑を避けるため、朝の一部の列車は指定席券を買っていない人も7号車に乗ってOK!という扱いになっており、比較的空いているので毎日活用しています。

もちろん、座った席に指定席券を持っている人が来れば、すぐに譲らなければなりません。

コロナ禍の中、せっかく券を買った人は他の人が座っていたら嫌だろうな・・・キレられないかな・・・とびくびくしながら座っています。

その2:導線

新横浜で横浜線に乗り換える際、人の流れを横切らなければならない箇所があります。

直前に、自分が通りたい導線をイメージして、それをしっかり見るようにして歩くと、不思議とスムーズに移動できます。中途半端だと、お見合い多発です。

(5年ほど前に気付いたのですが、遅い?)

その3:エレベーターの順番争い

菊名で東横線に乗り換える際、横浜線ホームから上る階段・エスカレーターが激混みなので、エレベーターを使っています。

定員10人強と小さいので、皆さん早く電車を降りて並びたく、また横浜線は新横浜と菊名で同じ方向のドアが開くため、新横浜で「いかに遅く乗ってドアそばをキープするか」という妙な競争が発生します。

周囲の呼吸を計りながら、乗る順番が決まっていきます。

前は頑なに乗ろうとしない人にイラッとしていたのですが、最近はダッシュの早い人の後ろに付いて二番手を確保するという戦法を身につけました。

4 エスカレーターのお作法

職場最寄りの日本大通り駅には長いエスカレーターがあり、それに乗るための長蛇の列ができています。

他の駅でも同じですが、最近わりと「エスカレーターは歩かない」というお約束が浸透しているせいか、右側はガラガラなんですよね。

並びたくない人がたまに右側を歩いて、その人のために右側を空けて、そのために長蛇の列ができて・・・という悪循環である気がします。

鉄道会社で連携して、一時的に人を雇って、「2列で乗って下さい!」と声掛けするキャンペーンを張れば、案外浸透する気もしますが、どうでしょ?


その8 (18/02/06)

今回は思い出話がてら、田んぼの生き物のことを書かせて頂きます。小さい頃から、魚や水性の動物・昆虫が好きでした。小学校3年生の途中まで町田市に住んでいましたが、当時は市の郊外に田んぼが多く、よく自転車で虫取りに行きました。

コオイムシってご存知ですか?前足がカマのような平べったい昆虫で、メスがオスの背中に卵を産み付けて、孵化するまでオスが背負って守るので「子負い虫」です。この卵を持ったオスを捕まえたときは感動しました。

また別の時、見知らぬお兄さん達(小学校高学年?)から「網貸して」と頼まれ、見ていたら水路からウナギを採っていました。当時はその価値は分からず、 「でっけー魚すげー」としか思いませんでしたが…。

横浜に引っ越してからも周りに田んぼが多く、タニシをエサに水路で小魚を釣ったりしていました。こういう経験が積み重なって、身近に農地がある環境っていいよね!という思いに至り、今の職業(農地の整備・保全)に繋がっています。

ただ大人の世界?はなかなか厳しく、生き物の住みやすい土水路は農家にとって 除草や漏水管理の手間が大きいため、コンクリートの水路に切り替えられたりします。

でも田んぼは農家が守っていますので、まずは農家・農村が元気になることを第一に考え、合間を縫って?生き物に優しい水路を考えていきたいと思います。

また県内には、泉橋酒造など地元の酒米を使う蔵があります。そこの酒を消費することが神奈川の田んぼを守ることに繋がりますので、日々努力したいところです。 長い言い訳か…。


その7 (15/07/15)

つい最近、フェイスブックを始めました。ちょっと前に登録はしたのですが、漠然とした恐怖感があり、全てのセキュリティ項目を一番厳しいものにして(EX:『私に友達リクエストを送信できる人:友達の友達』←友達いないから誰からも送られない)じっとしていました。

6月20日の練習後にかっぴーと飲んだ際、この辺の項目を緩くして友達申請してもらい、晴れて仲間入りした次第です。

まあとにかく手探りで、ボタンを片っ端から試し押ししている状態です。自分のタイムラインの「1971年 誕生」に自分で「いいね!」を押してしまい、うわー恥ずかしいと思ったのですが、もう一度押せば消えることが判明しました。

やっぱり怖いと思ったことがあります。「○○さんをご存知ですか?」というメッセージとともに沢山の人の名前が表示されるのですが、その中に自分の電話帳に入っていない大学の先輩やかみさんのいとこがいたのです。

まだ自分のプロフィールを何も入れていない状態でしたし、向こうもこちらの連絡先を知らないはずなのに、なぜ?「自分の電話帳に登録されている人の電話帳」まで検索しているのでしょうか…。いまだに謎です。

昨日(6月25日)あたりから友達の投稿に「いいね!」を押したりコメントしたり、ちょっとずつ動き始めています。通勤の途中に見るのがちょうどいいので、これからもまったりと続けていこうと思います。

その6 (12/12/30)

今さらですが、僕は「足柄上郡松田町」という所に住んでいます。ここでの暮らしぶり等を簡単にご紹介したいと思います。

住まいは小田急線新松田駅から徒歩3分のアパートです(駅からの近さが、この地に住み続けられている最大のポイント)。エンメの練習の時は、16時半に家を出るとちょうど18時くらいに会場に着きます。道中は寝たり、楽譜を見たり、某ソーシャルゲームで位置登録したり…とやることが多く、全く苦になりません。

初めて新松田駅に来た方は、駅前の「マニラ食堂」という看板に目を引かれると思います。生煮えの野菜スープ等を出す微妙な店でしたが、ここ数年営業していません。店の前に巨大なクーラーボックスが置いてあり、中に巨大なカメが数匹いて、たまに覗いていたのですが、最近何者かに盗られてしまったようです( ; ; ) 

唯一あったスーパーも数年前につぶれました。そんな状況で、昼夜とも閑散としているのですが、数件ある飲み屋はなぜかいつも繁盛していて不思議…。あ、最近チェーン居酒屋が初めてできました(花の舞)。

東名高速秦野中井インターまで5分かからないため、よく車で西の方に遊びに行きます。帰りは日曜日でも渋滞知らず(秦野中井インターが渋滞の終点!)。逆に東の方へはどうも足が向きません。

町の観光名所といえば、やはり松田山でしょうか。2月ごろ、早咲きの「河津桜」が山の斜面いっぱいに咲き、なかなか見事です。テレビでも取り上げられるため、この時期だけは観光客で混雑します。現在(12月)は「きらきらフェスタ」というイルミネーションのお祭りをやっており、こちらもなかなかきれいですが、集客力は全くなさそうです(^^;

いつの間にか、この町が人生で一番長く暮らした場所になってしまいました。町に対しては、潜在能力を生かし切ってもどかしさを感じるのですが、これも愛着の裏返しでしょうか。もうしばらく住み続けると思います。


その5 (10/09/28)

2005年にこのコラムで、我が家のペットの「みー」(ミドリガメ)と「ぜん」(ゼニガメ)の話を書きました。今でも彼らは元気そのものですが、だいぶ扱われ方は変わっており・・。

(以下「5年前」→「現在」)
・餌は5種類以上常備→2種類程度
・時々シラス等の生ものを与える→与えず
・水換え毎日→2、3日に一度
・真夏はクーラーつけて外出→つけず(暑いのはむしろ好き?)
・運動不足解消のため、風呂の残り湯で泳がせる→泳がせず

いやー、カメって本当に丈夫ですね。

食欲はますます盛んで、餌やりに近づくと水槽の壁にへばりつき、ばたばたとアピールします。時々勢い余ってあお向けにひっくり返ります。そこで餌を入れると、あお向けのままばくばくと・・。その執念がたまに怖いです。実際、夫婦ともども一度ずつ手を噛まれたことがあります。カメに襲われる夢も見ました。

でも、おとなしい時に正面から見ると、カメの目ってつぶらで澄み切っていて、何だかんだ言ってもやっぱりかわいいものです。あと10年以上、こんな付き合いが続くと思われます。


その4 (07/04/28)

いきなり余談から入りますが、4年前、あろうことか私は自分の結婚式を港南音楽祭の日にぶつけてしまいました。「土曜日はエンメの練習だから外しとこう」などと思ったのが完全に裏目。打ち上げ代わりに2次会に来て下さった皆様すみませんでした・・。

こんな私が、エンメの港南音楽祭ステージを振らせて頂く事になりました。恩返しのつもりで(?)頑張ります。 

歌い手の皆さんが重きを置くポイントは、「和音」「リズム」「フレージング」など、人それぞれでしょう。各項目の精度を平均的に上げていければと思います。その上で、皆さんなりの「歌いどころ」を、1つでも多く持ってほしいと思っています。

宗教曲というとつい客観的に歌ってしまいがちですが、語弊を恐れずに言うとブスト氏の曲は「庶民的」で、歌詞のイメージを掴みやすいよう作られていると思います。歌われている場面と音楽が皆さんの中で一致して、歌を自分のものにできれば、自然といい演奏ができると信じています。

指揮で迷惑をかけないよう、私も練習します。打ち上げでおいしいお酒が飲めるよう、頑張りましょう!


その3 (05/08/02)

結婚して半年たった頃、「ペットを飼おう!」ということになりました。でも、我が家はアパートなので、犬や猫は飼えません。そこで、「かめ」を飼うことにしました。

ペットショップに行き、元気そうなミドリガメとゼニガメを1匹ずつ購入。ミドリガメは「みー」、ゼニガメは「ぜん」と名付けました。(そのまんま・・。)この日から、我が家の「カメバカ生活」が始まったのです。

<カメバカぶりの数々>
・カメ用ヒーターを購入。(冬でも水温は常に25℃以上)
・餌は5種類以上常備。時々シラス等の生ものを買い与える。
・水替えは毎日。
・真夏日は水温が上がりすぎないよう、クーラーをつけて外出。
・運動不足解消のため、風呂の残り湯で泳がせる。

1年半ほど経った今、2匹はそれぞれ大きくなり、「みー」は約20cm、「ぜん」は約15cmになりました。近寄ると、「エサくれ」という目で寄ってきて、水槽の中でばたばたと暴れます。2匹重なってひなたぼっこをしている姿など、微笑ましい限りです。(下側のかめは迷惑そうですが・・。)

かめという生き物は、意外と丈夫です。「かなり大きくなる」ということさえ覚悟すれば、飼いやすいと思います。あなたも「かめ仲間」になりませんか?


スカボロー・フェア (02/12/01)

中学2年生の時の担任は、とても面白い先生でした。しょっちゅう遅刻するわ、料金が払えずに電話を止められるわ、そのくせ30万円もするラジコンヘリコプターを買って休み時間に飛ばすわ・・・。20代後半と若いこともあって、先生というより兄貴みたいな感じでしたね。

ある日のホームルームで、その先生がおもむろにラジカセを持ってくると、いきなり教室の電気を消して、ある曲を流し始めました。「部屋で一人でさ、電気暗くしてさ、水割り飲みながらこの曲聴いてると・・・いいなあって・・・涙がじわーっとにじんでくるんだよね・・・。」と我々につぶやきながら聴かせてくれた曲が「スカボロー・フェア」だったのです。

影を帯びた透明感のあるボーカルに、なぜか懐かしさを覚え、自分でも聴きたくなり、すぐに中古レコード屋に走りました。「サイモン&ガーファンクル」などという難しい名前を必死に思い出しつつ、何とか探し出したのが、映画「卒業」のサウンドトラック(EP版!)で、他に「サウンド・オブ・サイレンス」や「ミセス・ロビンソン」も収録されていました。

夜は、父親の残した水割り(氷が溶けて薄まっている)を飲みながら聴いて、「大人の気分」にひたったものです。

練習で「スカボロー・フェア」を歌っていると、懐かしく思い出されます・・・などと無難にまとめようと思っていたら、11月号の締め切りが過ぎてしまいました。ああみどりちゃんごめんなさい。


びょーき (00/12/29)

「歌をやってきてよかったこと」を書こうと思ったのですが、きりがないので、「困ったこと」を書きます。

その1・突然頭の中で歌が始まる。
この症状は仕事中、特に重要な打ち合わせ前に多いです。 最近はクレーの絵本がマイブーム。 「そんな場合じゃないのに」と思うほど音が大きくなるから不思議です。さすがに話が始まると止まりますが。

その2・まわりに人がいないと歌ってしまう。
いつか、東海道線で同じ車両に誰もいなくなったことがあり(国府津〜大磯間)、つい熱唱してしまいました。駅から寮までの道も人通りが少ないため、よく歌っています。

人が近づく気配がしたら、フェイドアウト。でも自転車には気付かないことが多い・・・。まあ、特に治そうとも思っていないのですが。