よしこの勝手に書かせてちょーだいっ



その3 (00/10/2)

 月が変わっただけで、夏が終わったと思うのは、休みが明け新学期が始まった学生時代の名残なのか、それとも、概念として捉えられている普遍は個物に対して時間的、位階的に先行して実在するのか。

 私は今、テノールの存在理由に対して不特定多数の音楽関係者が抱く重力と経済性の相関関係に関するN井を除いたエンメは成立するのかという永遠の疑問を描いた油絵を仕上げ、鶴見川に面したテラスで、ポカリスエット味のDAKARAを注いだワイングラスに夕日映して、ぼんやりと分詞構文を訳している。

 ふと眼を閉じると、瞼に浮かぶ冴子先生の橙色のタイトスカートの曲線。昨夜(と書いて「ゆうべ」と読む)の余韻が隅々に気怠い甘さを残している、レースのカーテンを引きちぎり身体に巻き付け踊ってみたくなる。「エーゲ海に捧ぐ」より。

 常に気がかりなのは、今度、骨付きカルビが自分の胃袋においでになるのはいつのことだろうかってこと。不安が夜ごと苛む。今夜もシャケ弁当。

 しかし、私は決して諦めはしない。いつの日にか、JR東逗子駅そばの踏み切りの草の間から、生まれたままの姿の男性が現れることを。その人は私にとってかけがえの無い存在だから。

はやく夏にならないかな。


「違いの解らない女、ダバダー。」 (99/10/2)

と或る晩に歌番組を見ていたら、MAX(女性4人組)のアルバム全紹介をしていて何気なく聞いていたのだが、曲の違いが解らなかった。昨今の幾つかの、男性数人のロックグループに至っては、バンドの違いすら解からない。

とうとう耳が衰えたか、学生時代の友人に相談したが、彼女も私と同じ見解だった。彼女曰く、歌詞や曲想が全く異なる筈の楽曲を同じように歌える事は一つの才能だと。

思い出すのは、幼い私が、必死に「ヤクルト買って来て、ヤクルトだよ」と頼んでいるのに、お約束の様に、ローリーエースを買って来てしまう、祖母の事。不味いんだよ。あれ。


その1 (99/1/1)

人を見掛けで判断してはいけないと云うけれど、初対面の人にはそうも行かないもんだ。

長い髪を束ね、眼鏡を掛けていた学生の頃の私は「頭が良さそう」に見えたそうだ。制服を脱ぎ自分を飾る事を覚えた頃は、実年齢より上に見られる事が有った。

なのに最近では、女にナンパされ、痴漢に間違われ、灰皿をくれないレストランの店員とは喧嘩になり、補導されそうになり、下着売り場では白い眼を向けられ、とまあ、大変なのである。

が、手前で好んでこんななりをして居るのだから、初対面の人々に誤解を与える自分が悪いと諦め、公共の場では男子便所を使ったり、新聞の勧誘には「ママに聞かないと...」と答えたりしている今日この頃である。

ハゲとか、出っ歯とか、汗やら足やら口やらが臭い人は「絶対に嫌」と思って居た私が、この全てに当てはまる人に恋をして、結婚までさせてしまったのだから、皆さん、人は見掛けで判断してはいけません。