あべちゃんの勝手に書かせてちょーだいっ
信州雑感
(04/04/05)
音響工学概論第一
(02/07/04)
その2 (2001/4/30)
その1 (2000/2/5)
信州雑感 (04/04/05)
信州に移動して約一年が過ぎた。こちらの田舎的時間軸にもすっかり慣れ、かなり腑抜けになりつつあるため、少し危機感を感じている。夏場はチャリンコ通勤で、冬はさすがに厳しいのでバス通勤なのだが、終バスが20:20。さらに、17:00-18:00に陽が落ちると、大学周辺は真っ暗になってしまうので、仕事をやる気がなくなるというわけだ。
また、バスも一時間に2本しかない割には10分くらい平気で遅れるため、風雪の中、帰りのバスをバス停でじっと待っている時、人生について考えてしまうことがしばしばだ。
長野と言えばまず思い出すのが、田中康夫である。まあ、
そういえばこの前、東工大の研究室の秘書さん(津田塾女声プルニエコール出身)からネタを一つ教えてもらった。彼女の学生時代、一橋大学男声コールメルクールとのジョイントコンサートの練習に田中康夫がいたというのだ。彼は一年生のときだけメルクールに在籍していたようなのだが、彼女は文句ばっかりたれるこの一年生のことが、はっきりと記憶に残っているそうである。
続いての長野の名産品と言えばもちろん、そば。シーズン中の土日は、登山・温泉・そばをセットとし、とりあえず20件くらいチェックしてある。総じてレベルは高く、大観光地の善光寺近辺でさえ良い店が多い。しかし気をつけるべき点は、信州産そば粉を使っている店はあまり多くないと言うことだ。
聞くところによると、長野の蕎麦屋全てが地粉100%を使った場合、年間生産量は数週間で消費されるとのこと。従って、地粉使用をうたっているだけではなく(この場合ミックス使用が多い)、「地粉100%」を明記してある店でないと完璧ではない(「自家生産」の表記でも多分大丈夫)。
もっとも、北海道産の粉でも美味しいわけで、腕さえ良ければ、粉は国産であれば品質は落ちないと思うのだが、観光客としては、地粉100%を食べたいのが人情であろう。で、蕎麦屋では当然もりまたはざるを頼み、わさびはつゆに溶かさずに、そばになすりつけて食べることをお薦めする。
最後に雪について。結論から言うとたいしたことはなかった。10cm以上積もったときに強制参加させられる雪かきも4-5回だったし、主要な車道に一週間以上雪が残っていることもなかった。今期の最大積雪量は50cm。ただし、2月までは、ほぼ毎日のように夕方に雪が降っていたし、車で20分も山に入っていくと銀世界になってしまうのは言うまでもない。
信州に来た以上、スキーをしなければいかんのだろうなあ、と思っていたのだが、結局行くどころかお誘いもかからなかった。研究室の学生も皆でつるんで行ったのは3回くらいしかないようで、スキー(ボードも)離れが着実に進んでいる事が分かる。
私の場合、夏に登山していて、スキー(スキー場)が環境破壊の大きな要因であることを痛感したため、長野に来る前は始めるつもりでいたが、その気持ちはすっかり萎えてしまった。もっとも、さらに酷いのがゴルフ場であるのは疑いの余地もないが(私は千葉県育ちなのでゴルフ場に対する憎悪が激しい)。
そんなわけで、冬場はごろごろしているだけで不健康極まりなかった。来年は冬期の運動について考えねばならないが、スキーではなく、冬山登山に気持ちが行きそうな自分が怖い。次回のテーマは、善光寺とりんごと...やっぱ酒かな。
音響工学概論第一 (02/07/04)
皆さんは誰でも何らかしかの音楽ソースを再生する手段をお持ちのことと思う。もっともお手軽なのは、CDラジカセであろうし、少しお金を出してミニコンポを持っている方もいると思う。
音楽を聴くのみならず、自ら演奏するという趣味(生きがい)を持っている方たちであるから、耳で音を聞くときには、多少なりとも神経を傾けて聞くことを実践されているはずだ。合唱という共通の音楽的嗜好があっても、実際に部屋で聞いている音楽は人それぞれであろう。
それでは、その聞き方はどうか。本を読みながらとか、食事をしながらといったBGMとしての扱いが多いのではないだろうか?音楽は音を楽しむことだから別にそのような聞き方が間違いであるはずもない。しかしここでは良い音でじっくり音楽を聴くこと、良い再生環境を整えることを推奨
する文章を書きたいと思う。
良い音・好きな音というのは、良い曲・好きな曲と同様に人それぞれでフィーリングの問題である。しかしながら、オーディオ的には、やはり音が良い悪いという、殆どの人にとって共通的な感覚がある。
それは、例えばCDに入っている情報を全てかつバランスよく
再生できることであり、工学的にいえば、1ヘルツから20キロヘルツまで完全に同じ音量かつ同じ音色で再生できることが一つの理想となる。そしてそのことを基本として、次に個人個人の嗜好として低音が強調されている方が好きだとか、ヴォーカルが前に出た方が好きだとなるわけだ。
ラジカセやミニコンポといった再生装置はまず圧倒的にその周波数バランスが悪い。国内で需要が多いのは、オリコンチャートをにぎわすジャパニーズポップスまたは演歌であるから、ミニコンポではかまぼこバランスといって、ヴォーカルの音域である数百から数キロヘルツにかけて
極端に強調されており、特に低域は殆ど聞こえない製品が殆どである。
それに加えて、元々CDの録音自体もヴォーカルを強調してある場合が多く、結局、歌しか聞こえないわけだ。
シングルヒット曲=カラオケ用の曲という現在の社会構造を考えれば、音楽を聴くなんてその程度で十分なのかもしれない。しかし、我々が心をこめて演奏した合唱曲をそのようなクオリティの低いシステムで聞いていて満足できるのか?いや満足してもらいたくないんです。
合唱の場合はヴォーカル とはいってもソプラノからベースの音域まであるわけだし、ピアノが入る場合もある。それになんと言っても良いホールで演奏した場合には倍音が鳴るわけだし、演奏会当日の開場の雰囲気、緊張感といったものも再現したいとなると、やはりある程度レンジの広いオーディオシステムが必要となる。
JPOPの場合でも、ミュージシャン(プロデューサー)によっては各楽器のバランスを考え、ちょっとした音の仕掛けをちりばめたりして、きちんと芸術作品としてアルバムを作っている人たちもいるわけで、彼らは聞き手側にもそういったことを聞き取って欲しいと願っているはず。
もちろん、 クラシックやジャズを聞く場合にはさらに良い環境が欲しくなるわけである。音楽と言う芸術を満喫するためには、もちろん一つの単純な旋律に感動する楽しみ方もあるわけだが、様々な音が同時に存在するときに起きる魔法(例えばハーモニー)を、できるだけそのアーティストが思い描いたのと同じ状態で受け取る必要があると思うわけである。
で、まず現在の環境をお金をかけずに改善する方法を考えてみる。まず、スピーカーから発せられた音波は部屋中に広がり様々な物体にぶつかり、エネルギーを与える。鼓膜にぶつかったときには音として人間が感知するわけだが、その他にぶつかった場合には実は余計な雑音が発生する恐れがある。
皆さんもご存知だろうが、特にガラスや金属板などの固くて面積の広い物体は、共振して関係のない音を出し始める。従って、音楽を聞く部屋にはできる限り何も置かない方が良い。
しかしこれは日本の住宅事情を考えると、かなり無理な注文である。かくいう私の部屋もでかいステレオがおいてあるのに、冷蔵庫や本棚などその他のものがぎゅうぎゅう詰である。また、床や天井は面積が広くかつ取り外せないので、音に最も影響を及ぼすのだが、これを改善するのにはかなりのお金が必要だ。将来マイホームを建てるときに音楽ルームを作るのであれば考えましょう。
次にすでにノイズを発生しているものを排除するという方法。例えば、時計や蛍光灯など。蛍光灯を消して目をつぶってじっくり音楽を聴くと、普段聞きなれたCDでも、新たな音の発見があるはず。それから最も効果的な音質の向上方法はずばり耳掃除。オーディオマニアとか言って何百万円もお金をかけるようなブルジョワのおっさんたちに限って、こういうことを実践していなかったりする。
次にミニコンポの場合は少しお金をかけて、スピーカーケーブル等のケーブル類を交換してみる。ケーブルの値段は百円から数万円までピンキリだが1000円位ので十分。
とにかく付属品のケーブルは最悪なので、なるべく太くて短くて、できれば金メッキが望ましい。
また交換の際にはコネクタをアルコールを付けた綿棒などで強くこすって掃除する。いくらケーブルが良くても、電気的接触個所が汚れていては元も子もないわけで、ケーブル交換よりむしろこちらの方が重要である。
さてお次は本題のオーディオシステム自体のバージョンアップである。私はオーディオが趣味で単品コンポを組み合わせているが、自分で買うのも好きだが他人に買わせるのはもっと楽しいという人間である。そんな金はない!!と言う人が多いと思うが、そこは私なのではっきり言って
激安プランである。
基本は中古である。何せ中古の方が安くて、しかも新品のときより音が良くなるのだから。そんなわけあるかと思われるかもしれないが、本当です。また、例えば、10年前の10万円のアンプと現在の10万円の製品ではどちらの方が音が良いと思われるだろうか?
実はわからないと言うのが答えである。コンピューターやゲーム機等のディジタル製品は、現在、誰がどう考えても10年前の製品と比べ物にならないほど性能が向上している。しかし、オーディオ機器のようなアナログ製品は一概にそうではない。
もちろん様々な新技術が毎年のように生み出されているが、それが一概に音質や音色の向上にはつながらない、むしろ逆効果の場合さえあるわけである。
実際に30年前の真空管アンプのほうが音が良いと言う人はたくさんいるわけだ。
さて、まずスピーカーについて。たいてい木の箱でできているわけだが、作ったばかりのときには箱のあちこちにストレスが発生しており、これが箱の中で共鳴する音波に影響を与える。このストレスは、時間が経過するにつれて無くなっていき、3ヶ月から一年程で安定する。
つまり製作後 一年くらいは音が変化していくのである。また、スピーカーのユニット自体は振動するものなので消耗品である。特に新品の状態では、振動板の周囲のエッヂダンパーが硬く、音を鳴らして使い込むうちに柔らかくなっていく。
ある程度柔らかくなるとやはり音が安定するようになり、さらに10〜20年ほどたつと劣化してぼろぼろになる。大きなウーファー(低音用スピーカーユニット)だと使い方にもよるが安定するまでに1〜5年かかる。
このように音を安定させることをエージングといい、後で言うアンプもこのエージングが必要である(というか必ず現象として生じる)。従ってスピーカーは5年前くらいの製品の中古品がベストで、また逆に15年以上前の製品は寿命が短い可能性がある。
次にアンプだが、これは消耗部が無く最も壊れにくい機械である。しかし、実際にアンプは電源を入れた直後と30分後では音が違うというのが常識である。また、やはり半年ほど使い込むまでは音が安定せず変化していく。
色々と理屈付けがなされているが、私の個人的解釈では、アンプの心臓部である増幅回路の中のトランジスターは100度近くの高温になる部分であり、温度によってトランジスターの特性が変化していくと考えている。従って電源を入れてから温度が安定するまでに音が変化し、また、何ヶ月と使っていくうちに、加熱と冷却が繰り返され、最終的に安定化するという現象が起こると考えられる。
これをアニール効果と言い、包丁や刀を焼入れするようなものと考えていただければよい。このように、アンプも中古のほうがお買い得なのである。アンプは30年くらい壊れなくても不思議ではないので、どの時代のものを買っても良いのだが、コストパフォーマンス的には80年代後半から90年代前半のものがお勧め。
最後にCDプレーヤー。これは動作個所がいくつもある消耗品である。スピーカーなどと違い、使用後のほうが音が良くなると言うことは無い。さらに80年代の製品は、読み取りに使われるピックアップレーザーの寿命が短かったため、この時代の中古品は根本的に壊れていたり壊れやすい可能性がある。
90年代に入ってからは寿命はほぼ半永久的になったと言え(ただし廉価な製品は現在でも粗悪なレーザーを使っている)、この点に関しては問題ない。またいくつか使われているモーターは完全に消耗品だが、一日2〜3時間程度の使用なら20年程度持つのが普通である。
最も壊れやすいのが、そのモーターの動力を伝えるゴムベルトで、これは高温多湿だと10年もたたないうちに延びてしまう。CDのトレイが開かなくなったら、間違いなくこのゴムが原因。
ちなみにビデオデッキに関しても同じことが言える。しかしこれは少し技術があれば個人で修理可能である。当然私に言ってもらえば、ゴムベルトの入手も含めてわけも無く修理できる。結局、90年代以降の製品なら、よっぽど前オーナーの使い方が悪くなければ中古品で問題ない。
また、 DVDプレーヤーを持っている人なら、とりあえずそれをCDプレーヤー替わりにする手もある。もちろんこれから買おうとしている人は、CDプレーヤーとしての音質が良いものを選ぶことをお勧めする。
で、気になるお値段の問題だが、私がお勧めしている価格帯は、新品当時の価格が一製品辺り7〜15万円で、現在の中古価格が1〜3万円の製品である。つまりトータルで10万円以下、目標は合計5万円で中級オーディオシステムを組むということである。
この価格ならばミニコンポを新品で買うよりも安く、しかも5段階以上良い音を鳴らせると断言できる。しかしながら最後に単品コンポの欠点についても述べる。最近、サンスイ、ダイアトーン、ケンウッド、オンキョー等、日本の誇る優秀オーディオ生産企業が不況の煽りであいついで潰れてしまった。
これは、 オーディオを組むことがもはや若者の夢ではなくなってしまったこともさることながら、日本の住宅事情が問題だと思われる。単品コンポは一台で、縦横40cm、高さ15cm、アンプは10キロ以上の重さがあるのが普通である。
こんなものは若者の一人暮らしにははっきり言って大きすぎて邪魔、さらに、単品コンポを組んだなら大きな音を出したいところだが、アパートで大音量を出したら、昼間でも警察沙汰か、ひょっとしたら刺されるかもしれない。
従って、ラジカセや、現在主流の非常にコンパクトでデザイン重視のミニコンポに人気が集まるのは必然である。でも、もし誰かさんの家みたいに防音ルームなんてのがあるのなら、やはり硬派の黒の重量級単品コンポを揃えるでしょう、漢として。
と言うわけで、これを呼んで欲しくなった方は是非とも私にご相談ください。それから、皆さん、何か壊れた電気製品があったら、実費のみで修理しますよ。報酬にビールでもあれば喜んで参上。
P.S. ちなみに次回は重金属工学特別講義を予定しております。
その2
(2001/4/30)
4月17日の早朝、馬鹿が一人死んだ。バイク事故。信号無視のトラックの脇腹に追突。ほとんど即死。ミニレースやってるくらい好きだったから、当然の帰結である。悪友だった。幼稚園のころからつい最近まで、つるんでやっていることのレベルはほとんど変わっていなかった。
何も意味を成さないアホな会話と行動。よって、やつの思い出ははっきり言って何も無い。しかし。これほど人の死を受け入れるのに時間がかかったのは初めてであった。地元に帰って酒を飲み交わすのはこの男だけだったので、替りを見つけねばならない。
奴の死がきっかけでというとかカッコつけすぎだが、奴のことをなるべく考えないために、自分の今後の生き方を考えている。物心ついたころにはすでに科学者にあこがれて、現在は、のほほんと研究生活をしている。
しかし、コンピューターに取りつかれ、その分野に進んできたものの、研究を始めて数年で現実を知り、気合がなくなった。現在、科学者・技術者が必死になって創っている高性能な半導体製品の使い道は結局、携帯電話やプレステなどガキどものおもちゃである。
はっきり言って速いコンピュータなどいらない。現在もっとも速いコンピューターは核爆発のシミュレーションに使われている。
また、バイオテクノロジーの分野でも、コンピューターの高速化が必要とされているが、結局、一部のベンチャーがDNA特許を独占し、逆に医療の発展の妨げとなっている。
資本主義に寄生したサイエンスからは、今後、人間にとって害をなすものしか生まれ得ないと私は考えているが、資本主義文明は破滅への一本道であり、かつ、たどってきた道が次々と崩れ落ちていくような感覚で、人類は後戻りもできないでいる。しかし私はこんなことを考えながらただ酒を飲むだけである。
とりあえず私は現在、コンピューター用の半導体ではなく、太陽電池用の半導体研究にシフトしようとしている。将来すばらしい太陽電池ができたとしても、エネルギーをめぐる人間の争いは続くであろうし、環境問題もあまり改善することはないであろう。
しかし、やらないよりはやった方が良い。私の予想を裏切って、人間が資本主義文明以前の本来の人間性を取り戻すことを密かに期待しながら。
もし、この文章を奴が読んだら、「またカッコつけて正義の科学者を気取ってるよ!」とのたまうだろう。その通りだ。”死ぬまで偽善者を貫くこと”、が現状の私の結論である。
その1
(2000/2/5)
さて、今回は一発目ということで、知られざる、大学研究の実態を紹介します。
私は、シリコン(整形に使うやつではない)という半導体材料の研究をしています。シリコンの薄い膜を作るわけですが、作り方は、真空容器の中に原料ガスを入れて反応させるという方法です。
で、原料のシランガスというのが、酸素と触れた途端に爆発するという代物で、過去に大阪大学などで死亡事故が何件かあります。また、他にも、青酸ガス並みの猛毒ガスや、水素なども使っています。つまり、ガスのバルブ操作などを一つ間違えると、東海村の惨事(ちょっとおおげさか)のようなことが起こり得ます。
また、フッ酸という薬品を使っています。これは、皮膚に触れると体内に浸透していき、骨をボロボロにしてしまう、というかなり危険なもので、実際にほんの一滴、足にかかったときでも、一晩、足の甲がシクシク痛かったです。
とこんなことを7年もやっていると慣れてしまって、ほとんど鼻歌まじりでやっているわけです(やばいな〜)。でもさすがに、酒飲みながらやるなんてことはないです。そうそう、この研究は一体何の役に立つの?と言うと、コンピューターのICや太陽電池なんかに応用されます。
とは言ってもそれは建前で、実際には何の役にも立ちそうもないことをものすごい大金をかけてやっているわけです。今後は私を税金ドロボーとお呼びください。